料理人生25年。店主はブルースハープ奏者!
お店を支え、味を守り、音楽で魅了する
2018年3月で35周年を迎えるという地元で古くから愛される中華料理店「梅華楼」さん
そんな「梅華楼」さんの店主はミュージシャンとしても活動されているのをご存知でしたか?
「NUDE TRIP」というバンドでイベントに出演したり、CDもリリースされています!
普段は頭にタオルを巻き鍋を振る姿が定番ですが、ひとたびタオルを外せばロックでブルースな中華料理店主 菅原さんをご紹介していきます☆
梅華楼店主 菅原大さん
父親が大船で中華料理店を創業、独立。戸塚に移り、地元住民に愛される町の中華屋さんへ
戸塚小学校の目の前にあり、ラーメンの器が乗った黄色いスタンド看板が目印!
「こういうお店ってなんかホッとするよね・・。」まさにそんな言葉がぴったりの、昔ながらの町の中華屋さんは、常連さんが8割を占める毎日食べたくなる安心の味。
お店で出される料理は菅原さんが一人で仕込みをされていて、手作りのものがほとんど。
「やっぱり手作りの方が安心だよね。」とおっしゃるのは、近隣で働く方々や常連のお客様のことを思えばこそ。
メニューが豊富なのも嬉しいかぎり♪
「俺はラッキーだったと思う。」
調理師を目指したのは仲間に恵まれていたから。と断言する菅原さん。
調理場といえば先輩後輩の関係も厳しそうなイメージですが、当時菅原さんは優しい先輩のもと、のびのび働ける環境と仲間との交流がとても楽しかったそう。
そのことが調理師を目指すことにつながり料理人としての第一歩になったとお話されています。
ホテルを辞めて継いだ父親の中華料理店。転機は23歳
調理師資格を取得後、ホテルで修行をしていた菅原さんが中華料理店「梅華楼」で父親と共に働くことを決意したのは23歳の頃。
町の中華屋さんは「美味しい、早い、安い」がモットー。
美しさも重要視するホテルのダイニングと町の中華屋さんの考え方や動きの違いに、初めは戸惑ったといいます。
もともとは、父親と働くことや跡を継ぐことを想定していなかったそう。
当時、横浜プリンスホテルから他ホテルへの転職が決まっていた菅原さんでしたが、「梅華楼」の従業員さんが辞めることを機に父親から一緒に働いて欲しいと懸命な説得があり、菅原さんは大粒の涙を流しながら父親と一緒に働く決断をしたといいます。
「その涙はどのような思いの涙でしたか?」との私の問いに、「腹をくくったよね。やっぱり。」と、当時を振り返っておっしゃっていました。
お父様はその後9年の闘病を経てお亡くなりになられ、2015年からは菅原さんが「梅華楼」店主としてお母様と二人三脚でお店を守り、現在に至ります。
戸塚区の女子ラグビー「YOKOHAMA TKM」ファンのお母様^^♪
選手の皆さんも「梅華楼」に食べにくるそうですよ!
ブルースハープとの出会い。休日は音楽と海で頭をリセット
父親と共に働く覚悟を決めた23歳。同じ年、大船のバーで初めて聴いたブルースハープの音色に心をわしづかみにされたという菅原さん。
ドイツ発祥のブルースハープを独学で勉強し始め、今ではロック、ブルース、ハワイアンバンドの一員として多岐に活動しています。
「人生一度きりだよ!楽しんだ方がいいよ!仕事だけじゃ成長できないよね。」とおっしゃるとおり、音楽のみならず、学生時代から続けるマリンスポーツの中、現在はSUP(スタンドアップパドルサーフィン)で休日はリフレッシュ。集中力と体力を維持されているそう☆
『全力で働き、全力で遊ぶ』菅原さんの姿から、時間を無駄にしない生き方をする人達のカッコ良さ、ガツンと伝わってきます。
音楽の街(おとまち)戸塚を盛り上げる
2014年から始まった戸塚音楽祭「Rockin’ TOTSUKA」。菅原さんはNUDE TRIPメンバーとして第3回に出演し、音楽の街(おとまち)戸塚を全国に広める活動にも賛同しています。
料理人としてだけではなく、音楽を通しても人と出会い、人を繋げ、その出会いがまた糧になる日々を過ごされている菅原さん。戸塚の夏のお祭りイベント「サマフェスとつかはしご酒」などでも「梅華楼」さんにてロック&ブルースなステージを開催しています。
ブルースハープ奏者が作る優しい中華料理。ぜひぜひ味わってみてはいかがでしょうか?
梅華楼
〒244-0003 神奈川県横浜市戸塚区戸塚町142 杉山ビル 1F
045-871-3761
https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140305/14016158/
ほのぼの商和会事務局 上野(こまちぷらす)